[編纂中]西舎の郷土史

  • 1871年(明治4年)に肥前彼杵(そのき)郡からの移住者が入った。
  • 1879年(明治12年)に開拓使から褒賞された尾田忠兵衛などの例外を除けば、幌別ほろべつ川の氾濫や虫害などがあって開発の進展は思わしくなかった。
  • 1882年(明治15年)に赤心社移民が入って開墾に従事すると、先の入植者もこれに刺激をうけ、開墾も軌道にのるようになったという。明治一五年二月、それまでの西舎村に可礼べけれ村および塘沸とうふつ村の一部(北部)を併合して成立。
  • 1887年(明治20年)三九戸・一八九人、
  • 1892年(明治25年)六九戸・三三八人
  • 1902年(明治35年)4月1日、それまでの西舎村と幌別ほろべつ村の一部(日高幌別川の西側)が合併し、二級町村制を施行して西舎村が発足。成立。旧村名を継承し二大字を編成。同時に浦河町・荻伏おぎふし村・杵臼きねうす村と浦河町外三ヶ村組合役場(のち荻伏村が離脱)を設置、役場は浦河町に置いた。6月、組合役場の部制度実施では第一四部西舎村ケバウ橋以南、第一五部西舎村ケバウ橋以北の二部となる
  • 1915年(大正4年)4月1日 、浦河郡浦河町、杵臼村と合併して浦河町を新設して消滅。